【だからこそ】の概念

だからこそ 未分類

まず初めに、綺麗事を言うつもりは毛頭ございませんので、すこし気を悪くされるかもしれません。

でも、気を悪くされるということはそれなりに「偽物」であるということの証明なので、なにかを変えて行くための努力をする事を強くお勧めします。

 

さて、【だからこそ】の概念とは、人生を「より良くする」ため、わかりやすく明解にするために大切なひとつの概念です。

簡単な話、より良くならないひとや結果が出せないひとって、
これができてないひとが大半なんですよ。

そういうひとって皆、基本的に思考が【だから】で終わってるってことなんですよね。

「そこになんでも【こそ】をつけろ!!」って話です。
そうすると世界が180度変わってきます。

 

「こうだから」とか「こうなのに」とかで終わるところを、
そうじゃなくて、その語尾に【こそ】をつけろというわけです。

そうすると、
「だからこそ!」「こうなったからこそ!」となります。

 

ほら、どうですか??

この方が前向けるし、更に未来見えるようになったり、まだ足りてないからもう少し頑張ろうよって気になってきたりしてきたでしょ?!

って話なんですよ。

 

だいたい、ダメなやつとか結果出ないやつって、
物事基本なんでも【だから】で終わらせて思考停止してるからなんですね。

【だから】は思考停止。
【だからこそ】は発展的思考への根本的な入り口になる
ということなんですね。

 

自分でよ〜く考えてみてください。
そうなってませんでしたか?!

そして、何事も【最善を吟味する】と言うこと、大切過ぎますね。
結局これが大半できてない!

 

何故大切なのかと言うと、結局これが出来て無いとそもそも【だからこそ】も無意味だからと言うことです。
というか、【だからこそ】と言うのは最善を吟味すると言うことでもあるからです。

大半の場合は、最善だと思っていることが「自分の目先のただの気持ちを優先」していたり、
簡単に言うと、最善だと思いながら自分にとってただの「甘えの選択」をしてると言うことだったり、即ちそれは【だから】で終わってる場合が目立ちます。

 

じゃあ何故甘えの選択をしてしまうかと言うと、人間としてのレベルが鍛えられてないからに尽きます。
人間としての基準選定がショボすぎるということです。

あ、ひとつ言っとくと、人間というもの基準は落とさないに越した事は無いです。

何故なら【人間の基準は律することをしなければ何処までも落ちるもの】であるからです。

結局このように紐解いていくと「その本質はいつもひとつである」ということに気付かされていきます。

 

なんでも、「ただ」がつくほど安いものなんて無いのに、
「ただ」=「思考停止の考え」を持って気づいたら、というかもはや気づかないうちにそうであると甘えの選択をとってしまっているんだと言う事なんですよね。

「よくよく考えたらそれ全然最善じゃ無いよね」って良くある話で、
そもそも自分で物事を理論化出来てないから、何故最善でならなきゃならないのかとか、
そういった意味すらもわかってない訳だからそりゃ最善で居ようとすらしないわけです。

そういう人の特徴として、選択の指針がないため楽に逃げがちになってしまうというわけです。

昔からそういうひとの愚かな話に対してガキながら思っていましたが、一見あたかも正しいかのようにそういうやつって理論立てて話してきますが、
それでいて最終的に何がしたかったのかなって。
それただのおまえの気持ちの話じゃねーか?
偉そうに棚にあげてるわりに中身が無い、自分をわかって下さいの話になってるひとって結構いるんですね。

こう言うひとって話の方向性や主旨
1番はやはり『目的』を見失ってる事にあると思われます。

でも、そう言うひとの本質も結局は掘れば、やはりひとつのところに行き着きます。

 

すべては、
なるように己を律してやっていけば【なるようになっている】これはプラスの意味で。

または、
己を律する事ができずに目的を見失って目先の煩悩に振り回されていればこれも【なるようにしかならない】これはマイナスな意味で。

 

相手やひとに対するちゃんとした『気持ち』の話であるなら、それがひとつの中身として相手に伝わったりする物です。
が、そういった多くは矢印が自分を向いている事が多いのかも知れません。

これは、営業マンに例えると分かりやすいですね。
結果の出せない、その他大勢(これからの時代は淘汰される)側の営業マンはノルマを達成する事に精一杯でものを自分自分にただ売ろうとするから売れませんね。仮に売ってもその関係は長続きしません。

一方、結果をあげる営業マンは目先の事柄に振り回されず
何をすべきか何が正しいのか喜ばれるのか【どう必要とされるか】そういった【目に見えない中身】を考えます。なのでそこに需要を生み出します。

 

このように【人としての本質】は何に置き換えてもその本質はひとつであるために
【成功への道しるべ】となるのです。

 

さて、
そもそも人間は楽に逃げたがる脳の性質を持っているんですね。
その手前、自分で理論立ててそれをどうにかより良い方向に解決していく手はずをとらなければどうにも発展していかないという事です。

人生はそういったものとの戦いでもあるという事なんです。

 

そもそもそういったことができない、つまり、楽に逃げ道をすぐ探したがったり、ただ欲に負けたりと自分を正しく律する事ができない生物学的上無能な人間は、どの世界においても基本淘汰されて行くのが自然の節理であるし、世の節理なんだと言う事なんですよね。

それがしかし、これまではとりあえず綺麗事を抜かしていてもやっていけてしまうほどにありがたい「ぬるま湯な社会」だったわけで、それにすら気づかずマリーアントワネットで居る馬鹿ばっかりになってしまったことで、本来中身のあったはずのルールは中身を失い・・・
しまいには綺麗事に呑まれ。

コンプライアンスやら、なんやらと、元来人間として大切な何かを失ってきた訳ですが、
そのため、先人の人とか神様や仏様、ましてや生きてる仏様すら大切に出来ないようなただの目先の【自分自分】でしか無い浅薄な腐ったゴミ人間だらけになってしまったら、
そりゃ社会だってうまく機能しなければショボい国に成り下がります。

 

ゴミは掃除しなければなりませんね。。。
でも、これが皮肉にも現実ですし、それが人類のためであったりもするのです。

 

【だからこそ】立ち上がらなければなりません。
何をすべきか、どうあるべきかといえば。
小さいことからせめて前向いたり、大切なもの持ったり、ちょっとだけでもいいから微力でもいいから「価値のある人間」でいれる努力をしようよって話なんです。

 

こんなシビアな世界環境になっていくなかで、
最善を吟味できない人間や前を向けない人間に居場所なんてありません。

そして、シビアな状況でこそ、ひとの本質は浮き彫りになるということをご存知でしょうか?
であるからこそ、やはりその本質を日頃から掘り、高め続けてなければなりません。

これからの時代は【代わりの利かない者が生き残って行く時代】

「じゃあ、おれは工場員気質だし」「俺はそうじゃないし」
とかいつまでもそうやってぬるま湯に浸かって甘えてるそこのおまえ

その時点で終わってるから帰ってママのおっぱい吸ってろって話。
そうやって無条件に愛を授けてくれた母親への冒涜であるということにも気付かずに。

 

そのような腐った本質をただ擁護するような事しかできない、馬鹿な親や何が正しくて間違ってるかもぐちゃぐちゃになっててわからない社会のあり方をただ価値観の多様化のひとくくりで正当化してみたり、綺麗事抜かしてその中身を何ひとつ吟味出来ない。

これは思考停止なんです。
人間は楽したいんだって、そうすると【綺麗事に逃げたくなる】もんなんだって
完全に眠らされていますよ? ?

 

神々が怒ってるのかもしれませんね。

そんな時代だからこそ。

幸せ過ぎた平和ボケであったり、マリーアントワネットの本質であったりと
ゆとりが産んだ現代社会のモンスターが蔓延る現代社会の中で

いままで戦ってくれていた、おじいちゃんやおばあちゃん達の世代がコロナで一掃されれば、そこに残るのは無能だけになってしまうかもしれませんね。

 

とはいえ、もはやただの無能は生き残ることすら困難かも知れませんね。

平和や価値あるもの それを作ってくださった人たちへの冒涜をし続けてきたひとつの結果です。

 

でもね、

どんな人でもその生き方考え方、それによって代わりの利かない人間に「すべてのひと」がなれるということを忘れないで欲しいんです。

これらの本質がいっけん表面上では多様化された社会のなかで、
ショボい本質だと自分自身が何者かも分からなくなっていく社会のなかで、

自分を守り、ほんとうの自分を見つける、というか知っていき、本物のオンリーワンである掛け替えのない自分を作り上げて行くということ。

そんな生き方がこれからは必要なんだ
っていう話なんです。

そのために打ちひしがれるのはまだ早いんです。

 

【だからこそ】の概念を持ってして最善を吟味しましょう。
いまこそ、あなたによるあなたのためのあなたにしかできない代替えの効かないオンリーワンの価値ある未来を共に築きあげていこうじゃないですか。

【だからこそ】
今という時間は物理的には全てのひとに平等に与えられたものですが、しかし、その“体感的時間”は、あなたがその時間をどう使うかによって大きく異なり、圧倒的な人生の差を生むものになります。

よって、最善を吟味し続けるということは、
【だからこそ】の概念を持ち続けるということでもあり、
もはやそれはいまに生を受けたものの責任であり役割なのだということなのです。

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