体罰について

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みなさんは、体罰についてどう思いますか?

いまの世の中大半の人が否定派だと思います。
でも、「本気でそう思ってるひと」といまの世の中の風潮的に表面化ではそうでなきゃならないのも事実として「なにか違和感を覚えている方」もいるのでは無いのでしょうか。

冒頭に述べてしまうと私は体罰については、肯定派でも無ければ否定派でもありません。

良い大人がくだらない議論をしているところをみるとほとほと嫌気がさしますが
すべては繋がっています。

そんな「くだらないな」って思わせてしまうようないまの大人のやり方や在り方が政治や本来ひととして大切な向き合わなければならない問題を「見たくも無い」と思わせてしまっているところも多いにあると思います。

それだけが問題では無いですが、よってその場楽しければ良いという事になり
若者がエンターテイメントやメディアに逃げ道を作るような、むしろそうさせているような世の中の在り方に感じます。

【自分の頭で考える】という事をどんどん忘れて行くというか、それをあえてさせないような教育の在り方なような気がしてなりません。

 

なんとかヨットスクールの先生が書いた本の中でもあったように
いまの国や保護者のやり方は、友達が水辺に落ちて溺れてるところを助けたとしたら、その責任転換をすると。

こんなところに柵が無いのが悪い、うちの子がもう少しで死ぬところだったと。

本来なら行ってはいけない危険な場所であるとしっかりと教育をして、それでも行きたいなら泳ぎ方をしっかりと教える。
そして、助けた青年を褒めるべきでは無いのかと。

それを水場に近づくのは危険という理由だけで禁止したなど
そうやって危険ですよと教えるだけが教育なのでしょうか
その場しのぎなんじゃ無いでしょうかとその本にあるように

臭い物に蓋をしただけの教育はむしろ教育とは確かに言えないと思います。
むしろ、それは洗脳です。

 

教育と洗脳の違いを皆さんはご存知でしょうか

洗脳とは【見えなくすること】

教育とは【見えるようにすること】

なんです。

 

確かにまだ人間が形成されず、自分の行動に責任を持てるようになるまでは
教育として情報の遮断という事も必要になります。

これは何故か?

【本来あるはずの未来の可能性を最大限引き出してあげる手助けをするため】

なんです。

それをせずに「なんでも経験だ良いよ良いよ」それでは無責任です。

何故なら先ほども言ったようにまだ人間形成が出来てない、責任能力が無い(まともな判断の指針が持てていない)子供のうちにそれをやらせるのは自殺行為をさせるのと一緒だからです。

そこを大人が余計な情報は遮断しつつその子のその時その時の人間的レベルの成長に合わせて危険なことは危険だと教えて導いてあげる事が必要な訳です。

がしかし、現代社会の洗脳をされた大人がそもそもの正しい指針を持てて居ないんじゃお話しにもならないと言うわけですね。

 

良くわからない塾の講師が「3歳までは体罰は良い」とかわけのわからないなんの根拠も無いような表面的な持論を展開していたり、それに対して教科書の勉強ばっかして来たのかなと思うような人生経験の少なそうなお姉さんが理論ぽく否定してましたが
見ていてほとほとくだらないなって思います。

そして、暴力を振るったことも振るわれたことも無いようなおばさんがTVで暴力反対意見を口説く度と述べていてもいまいちピンときません。

 

じゃあ
そもそも人間て何なんでしょうか?

人間も動物であり、生物です。
もっと言うと高等生物なんです。

言葉がありコミニュケーションを高い基準でとることができます。
もともとの疾患などがなければその精度はまちまちでも鍛えればある程度誰でもできるようになります。

 

でも、生物であることに変わりはありません。
生物には性質や本能というものがあらかじめ備わっています。

結局、そういった目的や根本要素がズレていたり、または理解不足で議論なんぞしたところで時間の無駄ですし、もはや戯言おままごとしてるようで興味が湧きません。
ましてやそうこうしてるうちに更にそこにバカが介入してくるともう言わんこっちゃ無い訳なんです。

ひとの時間をなんだと思ってんだというようなレベルの話で終わります
もはや、そうなると議論とは言えません。
余計が多過ぎるのです。

そうこうしているうちに本題を忘れて本質がどんどんズレていってしまいます。
そう、どんどん問題箇所やその本質がわかりにくくなっていくんです。

あ、むしろそれが目的なんですかね?笑

 

ということで、人間も生物なんです。
【心と身体はひとつ、繋がっています】

なので、そんな人間にとって大切な事とはなんなのか
ここを議論しなければ何の意味もないんです。

 

そして、何が大切なのかを言ってしまうと

人として【バランス】

なんです。

 

高等生物である人にはこのバランス感覚というものを高度に精密に保つ事の出来る能力が備わっているんです。

『本来なら』です。

それが、現代社会の中では眠らされてます。
ひと言では言えないようないろいろな要素を持ってして。

 

結局人間というものは、栄養バランス、ホルモンバランスなんでもそうですが、このバランスの調和が上手くとれてこそのものなんです。

ホルモンバランスや栄養バランスが崩れればひとは壊れますよね。

 

そう言うものが目に見えてわかるほどにカップラーメンなんか毎日食ってるようなひとはもうアカンてことなんです。

そのバランスがとれなくなると偏って良くない方向に行くようにできているのが【人】なんです。

もはやこれは人間に限った事ではないのですが、それがこの世の節理なんです。

自然、生物、モノ、そのすべては
調和が保たれてこそいまこの場に存在しているわけです。

結局【本質はひとつ】

人間もこの世界の一部なんです。
がしかし、何においてもこのバランスを高等生物である人間がそのチカラを斜め上に誇示し自分自分に壊していってるわけですね。

愚かなものです。
神はそりゃ怒ります。

 

話はそれましたが、
私の親は、悪さをしたら学校の先生にも「問答無用でぶちのめしてやってくれ」と言うような親でした。

なので、悪さをして良く先生や親父にぶちのめされたり
もっと小さな頃はいじめられて泣きべそをかいて帰宅したもんなら、土手に連れて行かれ母親に突き飛ばしの練習をさせられたものです。
当時弱かった僕は泣きながら母親に向かっていった記憶があります。

また近所の駄菓子屋のお菓子を盗んだ時は、駄菓子屋のおばちゃんから思いっきり引っ叩かれた覚えもあります。
でも、小さい頃はお金なくて欲しくてお菓子をとってしまって
それに対して今は亡き駄菓子屋のおばちゃんは掃除を手伝わせてくれて泣きながら掃除したら、そのお菓子を最後にはくれました。

その時の愛情を私は大人になった今でも忘れていません。

そうやって周りの大人の人達の愛情のおかげでどんどん人として強くなることができました。

 

ましてや、それでもある程度成長し、中学や高校で悪ガキに成長すれば今度は怖い先輩方が居て世の中の理不尽さや礼儀や空気の読み方を勉強させてもらえました。

僕はその中で格闘技の経験もあり、その時の先生がいまや体罰で問題になりTVのニュースで取り上げられるほどの厳しい先生でした。
完全に理不尽極まりない事も多々あった事と思います。

でも、いまは感謝しかありません。
確実にここでひととしての根本が鍛えられたと思っているからです。
『今時お金払っても味わえない厳しさ』そう言われていました。笑

 

そんな中でも、いつだって深い愛情を持ちどんな状況でも高校を退学になった時も味方をして動き続けてたのは親の存在でした。

そんな中で、自分で痛みを知り、時にはひとを傷つけてしまったこともありました。
そんないろんな経験を積んで自ら感じ、それでもバカな私はいっぱいそのような愛する人達に迷惑をかけ
ようやく、ひとの気持ちや、ひととして何が本当に大切な事なのかを知る事ができたのだと思います。

 

大勢の犠牲の上に成り立っている今であることは確かですし、おじいちゃん達の世代の人達は戦争を経験されてます。
もっと前はこの国は刀で斬り合っている時代もなんかもありました。

それを「時代が違う」とか「それはそれ」とかそんな浅薄な捉え方で終わらせず、『時代が違っても人の本質は変わらない』同じ人であると言うことはなんら変わらないのです。

そこに学びを受け。現実を受け止め
【だからこそ】いまに生を受けこの幸せな時代を生きる事のできる自分達には何が出来るのか。
また、どのようにして生きていくべきなのか
忘れてはならないと思います。

 

なんとかヨットスクールは死人まで出しているようで、その先生が死んでしまった子の親にこう言ったらしいです。
『あなたの息子さんは運が悪くて死んでしまっただけ』
そんな事口が裂けても言える事ではありませんし

私も2人の子を持つ親として目には目をで返してやりたいくらいです。

そんな事を現代において言ってる教育者とか明らかに行き過ぎですし
間違っています。
偏り過ぎです。

どんな子であれ、死んで仕方無いなんてことはあり得ませんし、
どっかの国の特殊部隊かなんかの訓練なのかなとすら思います。

というか、蓋を開ければただの更生施設ですし、ただのヨットスクールですよね笑

ただのじゃないらしいですが、、

なにを勘違いしてんですかね。

ほんとにただそんな事をしたければ、特殊部隊の長官になればいいだけのことじゃないですか。

そんな責任立場も履き違えて自分自分に人の子の命と向き合うなんざ

現代社会で生かされる人間としてむしろ冒涜行為なんです。

 

そのひとの本には
「どのような子が入居してくるか知ってますか?」と書いてあるそうですが、
「簡単に親を殺そうとするような子を単に言葉だけで分からすことができると思いますか?」

それは全く思いません。

「言葉だけで分からす方法があるなら僕も教えて欲しい
僕が望んで居るのは言葉だけの論争なんかではなく根本的な解決だ。いざそう言った子供が成長し貴方のことを包丁もって殺しにきたらあなたは暴力以外の何で守ろうとしますか?」
と言っているようです。

確かにいまの世の中の風潮というのはさっきから言ってるように戯言感のある、危機感のない平和ボケしたような風潮を感じますし、言ってしまえば体罰だなんだ言ってられんのだって平和の象徴ですからね🕊

現場で戦ってるこっちはそれどころじゃねーっていう気持ちもわかります。

 

でも、ひと言で言うと

『まだ包丁持って殺しに来てないやん』

てことに尽きますね。

 

将来そうならないようにいまのうちから教えるんだろって言うんでしょうけど、
だからそれじゃあむしろチカラで抑え込んでるだけで、結局のところそれもなんの根本解決になんかなってないんです。

むしろ、だから将来包丁持って来る事になるんです。

それこそ逆でそんな事でビビってんなら教育者なんかやめろってことでしかないんです。
ましてや、そんな荒くれ者ばっか来るところの教育者の器では無いという事につきますね。

なんなら、厳格な元本職の方とかがやられた方がいいんじゃないかなとすら思います。

きっと本職の方なら包丁での刺し合いなんて日常茶飯事なことだと思いますし、

私たちのじーちゃん達は爆撃と戦ってきたわけですしね。

それに比べればなんてことはないです。

きっとそんな凄いところの先生なんかやられてるんでしょうから、包丁で刺されるくらいの覚悟も必要なことくらいは想定の範囲内なのではないでしょうか?

そんな中で自分らの身を守るのは最終的には暴力以外の何者でも無いというその人の意見もそこだけを聞けば間違って無いと思います。

が、しかしそんな中で毎日奮闘していればそんな子供達に対しても悪い達観をしていってしまうと言うことなのでしょうか。

とは言え戦争中でもなければこんな平和な現代社会の中で産まれた子達をそんな死者が出るほどまでなやり方での教育なんて教育者としては確実に失格です。

単にそれだけの事なんです。
議論もへったくれもありません。

対テロ部隊などの特殊部隊に入隊したとなれば訓練中の死も想定されることですし、その生き方に命を捧げる。素晴らしいことです。それに対して誰も文句は言いません。

が、ただのヨットスクール『バランスおかし過ぎるやろ』ということに尽きるのです。

 

大切なのは

ひととしての【バランス】

たったそれだけの本質に対してくだらない大人達は、あーじゃ無いこーじゃ無い真面目な顔して自分自分言い合ってるわけです。

大人の事情ってやつかも知れませんが、、

とは言え、そういったことに対して当人達は真面目にそう思って話しあってるわけです。

 さすがに頭悪過ぎませんか?

まぁそうですよね、そこにある本当の本質、子供達への体罰がどうとかってことよりも実際それが仕事なんですもんね。

エンターテイメントとして観ろってことみたいです。

興味なくなって当然です。

僕も格闘技も含めて辛さや痛さ、また殴り殴られて学んだ事もたくさんあります。

殴られると何故泣きたくなるのでしょうか?
ある時不思議に思いました。
格闘技でも思いっきり殴られて涙がでたんです。
殴られることは分かっていて別に悲しくもないのに。

なんで、殴られて悲しいとかじゃないし泣いても痛みは消えないのにと分かっているのに不思議でした。
でもそこで気づかされたんです。

そう、すべては繋がっているからだと

 

【心と身体は繋がっているんです】

 

でも、弱い心も鍛えられていくうちに強くなります。

【健全な魂は健全な肉体に宿る】

んです。

だから、この人生を持って修行するんです。
人間として心も身体も鍛えることが大切なんです。

それをろくに鍛えもして無い、いや、むしろ人間のバランスが偏ってることで、鍛える場すらも頭ごなしに禁止され、ブラックやらコンプラやらなんやら浅薄な現代的なくだらない人間のやり方によって【人としての大切な事】が分からなくなってしまっているんです。

『それを失ってしまっている事でショボい人間だらけにされてしまったことが全ての要因』なんです。

 

『暴力には魔力があります』
それをちゃんと扱える人間が居ないのです。
使っているうちにその魔力にのまれてしまうんです。

ですが、本当のところ人間は高等生物らしく生きていく必要があります。

なので、暴力は良くはありません。

でも、時としていち生物である人間には暴力とて必要な事もあるというだけのことなんです。

『必要に応じて臨機応変に対処するものなのです』

その線引きを誰かにしてもらったりあーだこうだくだらない勝手な人間理論で言ってても結局はダメなんです。

それは3歳までとかどうとかそんな事ではなく
確かにそれをすれば、そのあと人生において痛い目に合う確率は下がるかも知れないというだけのことです。

とにかく他人がどうとか言う前にそんな教育現場に携わる者としていつ生徒に刺されて死んでもいいと言うような、この生き方に自分の人生のすべてをかけるという覚悟と誇りを持つべきなんです。

 なんだってそうです。

そういった命の覚悟をもって特殊部隊に入隊するんです。

そう言った覚悟をもってリングに上がるんです。

ならば、極端な話しサラリーマンとて同じですし

なんなら教育者となれば尚更です。

その覚悟が結局のところ何においても無いから血迷うしバランスが偏るんです。

命の語らい、魂の語らい、本当の愛情なんてそんなところには存在していないんです。

自分で産んだにも関わらず、そんなところに預ける親も親で同類です。

というか、自らの子供をそんなところに預ける事になるということはその人の人生をもって、

もう予めずっと前から決まっていたようなもんなんです。

たまたま息子が社会不適合な人間に育ってしまったわけじゃないんですよ。

【子供は鏡】なんです。

そうやって何事においても無責任を貫いてきて生きてきてしまった自分を子供が写し出してくれているんです。

にもかかわらず、というかもう当たり前なんです。

ここまでそのように生きてきてしまったひとがここに来て、これだけの子供という大き過ぎる本質を目の前に向き合える訳が無いという事なんです。

言うならそんな人は子供以前に自分とすらろくに向き合ったことのない人間なんです。

だから本質は一緒なんです。

そこに来て更に無責任にも責任逃れの道を探すに決まってる結果です。

そうやってずーっと生きてきてしまっているんです。

それが最善のカタチな訳がないんです。

人生単位での負のスパイラルは自分ひとりのチカラではもはやどうする事も出来ないんです。

だから、大切なのはそうなる前に対処していく事なんです。

これは社会全体でも同じことです。

手遅れになる前にひとりひとりがそういった問題と向き合わないとなりません。

そうやって何に対してもろくな覚悟持たずに自分自分好きにやってきて

まぁそう言った本人は好きにやってきた訳じゃないって言うんでしょうけど、

そうなんですよ。

たしかに、そう言う人に限ってはよっぽど人生好きにやってるわけではなかったりするんですよね。

これも本質は同じ。

負のスパイラルなんですから。

それで最終的に大切なはずの息子が死んでも仕方がないと言えるわけですか

完全にひととして終わってます。

なら、ほんとにあなたも息子さんと一緒に人知もへったくれも無いヨットスクールで鍛えてもらえばよかったのに。

もちろん、それもなんの意味なんかないですよ。

私は綺麗事は嫌いなのではっきり言ってしまうとそう言うひとはもう手遅れなんです。

藁にもすがる想いなのかもしれませんがもはや、その気すらも安いのです。

自分で腹痛めて産んだ子ならどんな事があっても自分の手で最後まで面倒をみるべきです。

いろいろな要素があってそれが出来ないという事も実際にはあるのでしょう。

であれば、最初からそんな事になるなら自分で責任をとるくらいの覚悟をもって生きることです。

そう言ったマイナスなモノも連鎖します。

なので、かつてのこの国の武士であれば、自分の弟子が闇落ちしたなら自分の命もって自らの手でその責任をとるものでした。

そりゃ死にたいひとなんてだれもいません。

とここまでいうと、そう言うひとが今度は何を言いだすか、私は知っています。

「そうは言っても、そこで更生した子だって多くいるんでしょ」とか今度は言ってくるわけです。

とにかく都合が良いんです。

馬鹿は自分にとって都合の悪いものから常に逃げスタンスを貫いて、物事を0か10でしか判断できません。

なので、やっぱり言うこと、なす事、考えること全部同じです。

なので、負のスパイラルから一生抜け出せないんです。

これは人間の在り方ではありません。

量産型のロボットです。

ですから、【バランス】だと言ってる訳なんです。

それを【自分の頭で考えろ】と要は【感じる生き方をしろ】と言ってる訳です。

なので、そんな人には残念ながら世の中はそんなに甘くはありません。(それでも現代社会はまだ甘いほうです)

でも、これからどんどん甘くなくなります。

そんなんでも、のらりくらりやってこれたのは、おじいちゃん達が凄かったからです。その貯金です。

何故なら現代社会を生きる我々がそのような安物買いの銭失いの本質で目先の楽を選択し続けているせいで、これからどんどん尻つぼみになります。

死にたくないなら死ぬ気で向き合い続けるほかないのです。

大切なんですよね。

そうなんです。

実のところ、まず自分の事すらもほんとは大切じゃないのです。

目先の自分だけが大切なのです。それはひととして鍛えられてないからに尽きるのです。

ならばこんな現代に生かされながらにしてただの冒涜でしかなので、世のためひとのためになる何かをしてからじゃないと死ぬ事も許されないという法律があったならどうでしょうか?

自然と考え方の基準はあげられますよね

世の中には生きたくても生きれない人だってたくさんいます。

努力したくたって病院のベッドの上で寝ている事しかできない人だっているんです。

どっかの国にいけば強制労働させられてる人たちが同じ現代においてもいるんです。

なのに、これだけの自由と幸せなこの国に生かされるものとしてそれに示しをつける生き方をしようとしないなんて冒涜以外の何者でも無いのです。

まじで、この国には腐ってる輩も大勢いる事は確かです。

そんな話をしても「おれには関係ない」などと。

そんなやつは強制的に徴兵でもさせてやりたいくらいです。

こんな幸せな国に生を受けた私たちには

自分を大切にしなければならい義務があります。

だからこそ誰しもが大切なものをもつ義務があります。

無いなら、これは義務です。

作ってください。作る努力を今すぐにしてください。

探さなければなりません。

そのためなら地獄の果てまでも、向き合い続ける覚悟が欲しいものです。

馬鹿なひとはすぐ結論を求めたがります。

何故ならひととしての忍耐力もなければ思考力も乏しく、どこまでも無責任だからに他なりません。

それが無くても、せめて本物の愛情をもって接し続けていればどんな形であれ大人には伝わらなくても子供には伝わります。簡単です。

変な大人のように要らないもので固められてません。

子供達はまっさらなキャンパスに何にでも絵描けるんです。

表面的なひとたちは大人なら話せばわかるけど子供は難しいって思うんでしょうけど、むしろ逆です。

話したって大人は本当のところあなたのことなんて結局はなんもわかってなんかないんですよ。

そんな生温い考え方しか出来ないから、人間関係も上手く行かないし、プライベートも充実しないんです。

【子供は宝】

そんな言葉がありますが、ほんとうにそうだと思います。

変に発展したこの国では、人が人に対して冷たくなり過ぎです。

【みんなの子供】

発展途上国ではある概念らしいですが、こんな幸せな国に住みながらただ自分自分してて

そんな自分達で勝手に産んだ子供達事すら考える余裕すら無い情け無いあり方に苛立ちすら覚えます。

修行不足

人間レベルの欠如としか言いようがないんです。

なら、どうやればいいんだなんてことは誰にもわからないし、何事もほんとのところ必ずしもこれが正しいやり方なんてないからその都度【最善を吟味】し続けるのです。

人間は完璧ではありません。【だからこそ】そう模索して生きて行くのです。

与えらたこの命、生き方をもってして一生かけて

あなたの人生というものを創り上げていくのです。

そう言えば、私の母親の恩師の方は生徒に刺されて亡くなられてしまったそうです。
凄くいい先生だったようで母親は許せない気待ちでいっぱいだと言っていました。
ほんとにその通りです。
だからこそ、悪い達観をして「やられる前に教えてやれ」などでは無く。

そこにあるひととして大切な中身や立場責任、そのあり方がどうあるべきか
そうあれるよう様に普段から自分に問いて生きるのです。
マインドセットを整え、己を鍛え律し、自分がどうあるべきか何をすべきかをどんな人生を生きたいのかを誰もがいま一度問う必要があります。

そうやってぬるま湯にいつまでも浸って体罰やなんやらくだらない議論して生きていけている程に平和ボケしている僕達のいまを命掛けで守ってくださった先人の人達、志半ばで犠牲になっていった同志達の分も感謝をして覚悟を持って生きていかなければ示しが付きません。

時には私たちもこの命をもって戦う時だって必要なんです。

そのくらいの気持ちで家族や大切なもの自分の生き様に語りかける事ができているでしょうか?!

私は自分自身まだまだだと思います。
なので、追い込むときはどこまでもいきますし、そう己に言い聞かせます。

だってそんな情け無い自分のことなんて好きになれないですからね。

これだけのものを授かって、それに示しひとつ付けれない自分なんて要らないし生きてる意味なんてない。

ならば下克上、どんな想いをしても苦しくたって

どうせいつかこの苦しみも含めすべて無くなるときが嫌でも来るのならばこれもquality

なら朽ち果てるまで努力してみよう。考えてみよう向き合ってみよう。

そう思って生きていたら、いま生きています。

なんならめちゃくちゃ幸せです。

いまを生かされている私達も先人の人達のそのような気持ちや大和魂を感じてみたり覚悟を持つ事が今一度必要なのでは無いのでしょうか。

ひととして今の時代に何か寂しさを感じてしまうところがあります。

情の溢れる人間味ある人達がどんどん死んでいってしまう中で、何処か浅薄な時代になって行ってるような気がします。

ネットやゲームや個人主義、他人を思いやれない。

そうじゃなくても、自粛やらなんやらの風潮でそのような事にどんどんこれから拍車かかっていきませんか?

失ってはダメなんです。ひととしての真の姿を

こんな時代こそ、ネットを使うのは人間なんです。
ネットに使われてませんか?
ネットは便利です。が、ネットに逃げ道を見出していませんか?

そこに果たして本当の人間の幸せなどあるのでしょうか?

こんな時代だからこそ、ネットを使って何かできるかもしれませんね?

さて、何ができるのでしょうか?

そうやって現代の有難い発展した時代だからこそ何処からだってその道を探す事は可能なのです。

そうやって人生を本気で模索してるひとを神は見ています。

あなたにしかできないことってなんでしょうか?

死んではいけません。

だからと言ってただその場から目を背けて逃げるだけではより首を締めることになります。

ならば、未来を託された若い世代の人間達がそう言った覚悟をもって未来を創造していかねばなりません。

もはや、それは責任なんです。

 確かに難しい世代ではあるかもしれません。

そんな時代だからこそ原点回帰。

今は亡き駄菓子屋のおばちゃんのような人情あるひとが必要なんです。

思いっきりぶったたかれたとしても、、思いっきり愛されてひととしてなにが大切なのか魂で語らう。

この国には本物の【愛】が足りていないのです。

すべて紐解けばいまの日本社会においてこれがうまくいかないことの理由であり本質です。

その上で体罰がどうとか、それ以前の話しなんです。

本当の想いを知らない人間達が増え、表面的に議論したところで愚の骨頂というわけです。

事はむしろ悪い方向に偏るだけなんです。

こういったことに一人一人が耳を傾けなければ

『言わんこっちゃない時代がこの先訪れます』

覚えておいてください。

そんな時代の中でどんなひとでも、救われたければ耳を貸してください。

仮にもお金なんかなくたってひとは幸せになれるんです。

そう言ったひとの想い、

それは連鎖し、

時を超え、世代を超えて

人間として確実にひとの心の中に生き続けていきます。

『一生忘れません。ありがとう駄菓子屋のおばちゃん』

『愛するみなさんにもらった大切なもの今度はひとのために自分が使って生きていきます』

綺麗事は抜きにして、
それ以上でもそれ以下でもない私自身もひとりの人として

【人のために】

そんな生き方がしていきたいと思っています。

 

Calidad De Vida ヒロ

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