禅の言葉で看却下または脚下照顧と言う言葉があります。
自分で脱いだ靴は揃えましょうという事です。
そこには最も深い意味が存在します。
『足下を見なさい』
自分の足下を顧みるという事、それは『我が身』や『我が心』を振り返れという事です。
修行の場は日常にこそあるんです。
日常の仕事や学校、家事、育児、交友関係の中にさえ存在しているのです。
自分の立場、立ち位置、今の自分に何が足りていなくて何が本当に必要なのか、そして何が大切なのか。
自分に解いて生きるのです。
そう言った心の余裕が必要だぞという意味でもあります。
ある意味では、自分にしかないオンリーワンの在り方。
それはネット臭い言い方をすると一次情報であるということでもあるんです。
そして、誰しもにこれからはそれが必要なんです。
一次情報と言うものはやはり情報価値が、圧倒的に高いと言われている所以なんです。
それは人生においてもその本質はやはり同じなのです。
ついつい、目の前のことにいっぱいになってしまいますが、それでは気が付くと誰かが作ったモノの上にしか成り立って居ないことも多々起こりうるんです。
なので、
そんな時こそ
自分に聞いてみるのです。
人の事はいろいろ見えても自分の事は案外見えていないものなんですね。
なので、時に振り返ってみましょう。
そして、足並みを整理するんです。
どうしても【法灯明】人に明かりを灯して貰ってるうちはそれに甘えがちになります。
【自灯明】自分で自分の足元を照らして歩いて行くためには、【看却下】の概念が必要となります。
そうやって自分が歩いて来た道を整理しながら歩いて行くんです。
自立の概念とも言えるでしょう。
たった一回切りの人生です。
あなたの人生は【美しい】と言えそうですか?
どんな人生だって、その【気持ち】さえあれば美しく彩ります。
大切なのは
【上を見る事】【顔を上げること】
それが出来たら
自分の中に
【大切なものを持つ事】
です。
心の中に大切なものを持つ事ができた人の人生は圧倒的に美しい彩りを放ちます。
いつからだって遅いということは無いんです。
きっとあなたの中には誰かに愛された大切な記憶が残っています。
生きていたら、毎日苦労の連続かも知れません。
時代は大変な時期かも知れません。
でも、大丈夫です。
私達の心の中には愛すべき人達がいつだって居るのですから。
コメント